2009年12月4日金曜日

帰国のご挨拶とお礼



 神戸大学・中国地質大学合同崗日嘎布山群学術登山隊は11月27日、無事に帰国いたしました。全てが未踏峰であったカンリガルポ山群の6000m峰の一つ、KG-2 (6805m)に世界に先駆けて初登頂するという快挙を達成することができました。この成功はご支援いただいた皆様方の力の結集によるものと隊員一同心より感謝いたします。


 11月27日、関西空港に到着するとテレビ局の取材があり、また、11月30日の神戸大学・学長、福田秀樹先生への報告の折も報道陣の取材を受け、各新聞と地元のテレビニュ-スで報道されました。また、12月5日には東京、高輪プリンスホテルにて日本山岳会の晩餐会が皇太子殿下のご出席を頂いて開催されますが、そのイベントの一つとして今年の海外登山の報告があります。そこでこの初登頂の報告もさせていただきます。


 カンリガルポ山群は20世紀初頭に欧米の探検家やプラントハンタ-によってその存在が知られるようになりましたが、中印国境に近いため永く外国人の入域が認められずに今日に至っております。神戸大学は2002年からこの地域の処女峰登山を試みてきました。2003年には若尼峰(Ruoni 6882m;山脈の最高峰)の登頂を試みましたが悪天候とル-トの極めて危険な状況から登頂断念しておりました。


 この度合同登山を実施した相手の中国地質大学とは1988年に四川省の雀児山に合同で登山隊を派遣、見事に初登頂に成功しました。当時の隊員であった董範 Dong Fan教授がこのたびの中国隊の隊長で、お互いに気心の知れた仲間であり、両校の学生が隊員で、申し分のないチ-ムワ-クで未知の山に挑みました。この登山を通じて若い世代への伝統伝達とより親密な関係構築がこれからの日中友好、登山のみならず学問の分野での両校の協力体制の発展に繋がると思います。


 また、中国地質大学のメンバ-には2人のチベット人学生(徳慶欧珠(Deqing Ouzhu)、次仁旦塔(Ciren Danda))が参加しましたが、見事に二人が初登頂いたしました。チベットの処女峰にチベットの若者が一番に登ったことは誠に賞賛すべきことと思います。彼等はチベット登山学校卒業後に中国地質大学に入学した強者達で8000m峰の登頂経験も持っています。将来は登山ガイドとして活躍する夢を持っています。チベットでの登山の発展はチベット観光の発展にも繋がります。彼らがそのような産業の発展に寄与する日は近いと思います。


彼らに続いて神戸大学側は矢崎雅則と近藤昂一郎が登頂しました。ヒマラヤの未踏峰に挑戦できる登山家がまた生まれたことも嬉しいことです。崗日嘎布山群や北の念青唐古拉山群(Nyainqentanglha Mountains)、そして四川省にまたがる横断山脈を含むヒマラヤの東には未踏の6000m峰が少なくとも300座は存在します。今回の登頂はこの地域の初登頂時代の幕開けといってもよいと思います。若い世代が次なる目標に向かって準備を進めてくれることを願っています。


学術調査では、竹田教授が新種のコウロギを発見するという成果をあげられました。大学らしい学術登山ができたことも喜ばしいことであります。



12月26日 10:0012:00 農学部C101大教室にて報告会(一般公開)を実施いたします。世界初公開の美しい未踏峰の写真や登山隊の活動のビデオなどで登山隊の活動を報告いたします。是非ともご参加ください。なお、報告会の後は祝賀会(こちらは食事代4000円、事前に申し込み願います。E-mail: acku_office@acku.net ) を行います。隊員たちとご歓談いただければと思います。


報告会には中国地質大学から登山隊のメンバ-も多数参加の予定です。このような交流を通じて次の計画が実現することを祈念し、隊長の皆様へのお礼の言葉とさせていただきます。



Blogはこれにて終了させていただきます。KG-2登山情報は引き続き http://acku.net に掲載してゆきますのでそちらをご覧ください。    登山隊隊長 井上 達男


2009年11月29日日曜日

隊員全員帰国

11月27日(金)、無事に山田、山本、矢崎、近藤、石丸の5隊員が
CA161便で帰国しました。
飛行機は20:10の予定が20:45に遅れて到着しました。
平井先生、高田さん、居谷さん、山本奥様、矢崎お母様、甲南山岳会の武田会
長、塩崎様、山形が握手と熱い抱擁で出迎え、遠征の成功と無事帰国を喜び合
いました。
また、関西テレビとサンテレビが撮影・取材に来ていました。
隊員は皆元気ですが、さすがに長旅の疲れが出ており、飛行機が遅れたことも
あって車に分乗して早々に家路につきました。

帰国メンバー5名

関西テレビ取材その1

関西テレビ取材その2

サンテレビ取材

待合い1左は矢崎隊員お母様、右は武田会長

待合い2右から山本隊員奥様と塩崎様





11月22日の平井先生と井上隊長の帰国写真

遅くなりましたが、11月22日の平井先生と井上隊長の帰国の時の写真を
掲載します。
当日、高田さん、居谷さん、井上さんの息子さんご夫婦、山形先生が関空で出迎えました。







2009年11月22日日曜日

中国地質大学学長との会見

11/20 平井先生と中国地質大学の張学長との会見が実施されました。
中国地質大学の登山を学校の特長とする方針などが語られ、両校の今後の
交流の発展を願うとの合意が得られました。





武漢にて


11/18 武漢空港に到着すると大学関係者多数が横断幕や花束で歓迎してくれまし
た。


11/19 16:00-17:15 大学の講堂で100名強の参加者で報告会が開催されました。


登頂者表彰の様子です。





2009年11月17日火曜日

帰国の日程

フライトスケジュールが以下の通り決まりました。
井上隊長は11/22、その他の隊員は11/27に帰国します。

井上隊長
11/18 CA4404 Y ラサ~成都 11:10-12:55
11/18 CA4587 Y 成都~武漢 18:40-20:25
11/22 CA1334 Y 武漢~北京 10:45-12:40
11/22 CA161 Y 北京~関空 16:05-20:10

山田・山本・矢崎・近藤・石丸隊員
11/18 CA4404 Y ラサ~成都 11:10-12:55
11/18 CA4587 Y 成都~武漢 18:40-20:25
11/24 CA1342 Y 武漢~北京 8:05-10:00
11/27 CA161 Y 北京~関空 16:05-20:10

以上です。

2009年11月11日水曜日

KG-2通信 No.19 下山完了

本日11/11 18:00前に、全員下山した旨、
拉古に着いた井上隊長と山田副隊長から電話あり。

今後は携帯が通じるので、いつでも双方から連絡可能。
日本人はけがなど一切なく全員元気、
中国人が1人捻挫しましたが、古傷が再発したとのこと。

今回の合同登山の祝賀会の件、20日の午前中に中国地質大学で式典、
午後にパーティーをするとのこと。
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ご協力、ご心配いただいた皆様、登山活動は本日をもって終了です。
どうもありがとうございました。




2009年11月8日日曜日

KG-2通信 No.18

11/5~7の動きを投稿します。

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11月5日(木)14時30分、井上隊長からの衛星電話

13時20分に中国隊のデチンとダンターの二人がKG-2の初登頂に成功!

中国隊は5名でC2を出発しましたが3名がリタイアし、デチンとダン
ターが登頂。その後、午後から急に天気が悪化している。

日本隊は4名がC3を建設中。日本隊は明日の登頂を目指す。

登頂までのルートはかなりシビア。後半はワンアットで登行。

中国隊も明日第2登を目指す。
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11月6日(金)13時、井上隊長からの衛星電話

本日は天候が悪いため待機とする。
明日(7日)を頂上アタックのラストチャンスとし、明日天候が悪
ければ断念する。
夕べは雪だったが、今朝から徐々に回復しつつあるので明日に期待
する。明日は、日本隊とともに、C2から中国隊も5名が頂上をアタ
ックする。この中には、既に登頂したデチンとダンターを含み先導
役となる。

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11月7日(土) 16時50分、井上隊長からの衛星電話

本日、現地時間15時36分(日本時間16時36分)、矢崎隊員と近藤隊
員がKG-2に登頂!

一行はC3を午前8時に出発。朝は天気が良かったが、午後から曇り。
6,440 mまでは順調。その後ルートが難しくなり、天気も思わしく
ない中、先ほど頂上直下の雪庇を突破し、登頂に成功。現在、下降
を始めたところ。約3時間でC3に到着する予定。サポート隊の山
本・石丸隊員はC3で待機中。

中国隊5名は朝4時半にC2を出発したが、1人が膝を痛めたために全
員がC2に戻り、さらにC1からABCに負傷者を降ろしている。デチン
とダンターは、万一のときの日本隊のサポートのためにC2に待機中。

山田副隊長からは以下の話があった。「全員が持てる力を精一杯に
発揮した。1人が欠けても登頂できなかった。隊長も10日間、連日
荷上げで頑張った。自分も精一杯やった。山本隊員は上部で皆を指
揮してくれた。石丸隊員も精一杯やった。中国隊とも助け合って登
頂できた。」

頂上アタックはこれで終了し、明日から撤収を開始。
今後の予定は、追ってまた連絡するとのこと。


KG-2 頂上にて矢崎

Camp1にてKG-2をバックに 近藤
阿扎富士と呼びたいKG-2(6805m)





2009年11月7日土曜日

KG-2通信 No.17 登頂成功!!!

本日(7日)16時50分に井上隊長から電話がありました。

本日、現地時間15時36分(日本時間)16時36分、矢崎隊員と近藤隊員がKG-2に
登頂しました!!!!!
おめでとうございます。

一行はC3を午前8時に出発しました。朝は天気が良かったですが、午後から曇
りとなりました。6,440 mまでは順調でしたが、その後、難しいルートで頂上
直下の雪庇を先ほど突破し、登頂しました。登頂時は天候が悪く、現在、下降
を始めています。約3時間でC3に到着すると思われます。サポート隊の山本隊
員、石丸隊員はC3で待機しています。

中国隊5名は朝4時半にC2を出発しましたが、1人が膝を痛めたために全員が
C2に戻り、さらにC1からABCに負傷者を降ろしています。デチンとダンター
は、万一のときの日本隊のサポートのためにC2に残ってくれています。

その後、山田副隊長と話しました。
「全員が持てる力を精一杯に発揮した。1人が欠けても登頂できなかった。隊
長も10日間、連日荷上げで頑張った。自分も精一杯やった。山本隊員は上部で
皆を指揮してくれた。石丸隊員も精一杯やった。中国隊とも助け合って登頂で
きた。」とのことです。

頂上アタックはこれで終了し、明日から撤収を開始します。
今後の予定は、追ってまた連絡するとのことです。

2009年11月4日水曜日

KG-2通信 No.16

11月4日、17時10分井上隊長から山形研究室に電話がありました。

本日(4日)、2日間の悪天候が明けて、朝から天気良好。
山本、矢崎、近藤、石丸の4名がC2に上がりました。
明日、C3を5,900-6,000 m付近に建設し、明後日に頂上アタックの予定。
ACは建設しません。

一方、中国隊も本日4名がC2へ向かいました。
中国隊は明日、C2から直接頂上をアタックする予定です。
これと入れ替わって、日本隊が明後日にアタックすることになります。

小生から、日中同時登頂ができないのか確認しましたが、中国隊の事情でこの
ように決定したとのことです。
中国隊は高所順化ができているとのことです。
また、井上隊長と山田隊員はアタ氷河を詰めてルオニー峰への登路を偵察しま
したがアタ氷河側は絶望的とのことです。

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予定より早く、アタック体制に入りました。
成功を祈っております。

KG-2通信 No.15

11月2日(月)16時50分、山形研究室に井上隊長から衛星電話がありました。

悪天候が迫っている中で、デチン、ダンター、袁、宋の中国隊4人がC2から
C3に向けて主稜線を前進中。
日本隊は山本、矢崎、近藤、石丸の4人がC2へ荷上げ。天候の悪化により途中
で荷物をデポしてC1に下降。
井上、山田はABCからC1往復。
C1からC2はハードだったが、C2からC3はフィックスも少なくずっとやさしいと
のことです。

香山さんからの天気予報がぴったり当たっている。
いよいよファイナルステージに入るが、これから天候が悪くなることが予想される。
また、一部の隊員がオーバーワーク気味なので、天候と体調を見ながら進めていく。

KG-2通信 No.14

報告が前後しますが、BC建設時の報告が
井上隊長よりメールで届きました。
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BC建設 Depoに上げ開始
10月18日
6:30 起床 拉古の天気は良い。朝食を済ませて旅行用品をデポし隊荷を民家の玄
関に集めていると続々とヤクが集まってきた。9:00中国隊の若手二人に積み込み
の監督は任せて年寄り組みから出発。
ヤクは23頭の結構なキャラバンとなった。周囲の山々を眺めながらのヤクの放
牧地を歩くのはまるで桃源郷を行くがごとくの楽しいアプロ-チであった。
11;15  コ-ギン奥のゴルジュ帯入り口に到着。ここから高巻が始まるが左
岸に渡らなければならない。橋はないので渡渉となった。膝下までだが氷河の融
水はたまらなく冷たい。山田と牛が滑って水浴び。
12:30  曲尺(Chutsu)の放牧地着。ゴルジュの高巻が終わると広々と
した牧草地に着いた。Shanaに掛かった雲から霰が舞いだした。アタカンラ
の氷河も見えている。ヤクはここで昼食大休止。我々は選考してヒョ-ナ平から
BCへと先を急いだ。BCへの峠の登りでヒョ-ナ湖に虹が掛かって我々を歓迎
してくれた。


夜明けの聖山 ABCにて

Ata氷河の朝




2009年11月1日日曜日

KG-2通信 No.13

井上隊長からのメールを投稿します。
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本日やっと通信できるようになりました。バッテリ-が心配ですの
で簡単にまず報告します。

10/29--11/1今までの朝雪で明ける天候から一変して穏やかな晴れ
又は曇りで明ける日々が続きました。おかげで上部展開がスム-ス
に進んでおります。

1. 1. 10/31 山本 矢崎とテ゜チン等中国4人がInsel Bergの右
(2003年のル-トの一つ北の氷河のアイスフォ-ルを直登してI
nselの頭に出る)からFix約300mを張って5650mのC-2予定地に到
達。2003年の氷河の状態から全体に阿扎氷河(AtaGlacier)は
荒れています。雪も極めて少ない状態です。
2. C-1は4890mに設置しました。C-2へは750m強の標高差とセラック
スなどの難ル-トとなりましたが後の展開が容易になりそう
です。
3. 11/1 高度順化の進んでいる中国隊の4人が現在C-2入り目指
して登行中です。ABCには井上と山田が残ってシルバ-荷上隊と
して頑張っています。

今後の予定

11/2 C-1の4人(山本 矢崎 近藤 石丸)はC-2に荷上、井上 山
田 は ABCからC-1にC-3の食料を荷上します。11/4 にはC-3が主稜
線に設置できるのではないかと考えています。但し、天候と隊員の
健康状態によります。

2009年10月30日金曜日

KG-2通信 No.12

10月29日(木)20時20分、井上隊長から以下のような内容の衛星電話が
ありました。

日本隊、中国隊とも皆元気で、協同して登山を進めている。
本日(29日) C1を建設した。

今まで、毎日のように朝は雪で、昼から行動していたが、本日初めて晴れた。
風向きも今まで南風だったのが、今日は北風に変わった。
C1からC2へのルートに関して、2003年のルートよりもさらに一つ北側の、氷河
よりのルートを本日偵察した。
明日以降、再度偵察し、2003年のルートをとるか、一つ北側のルートをとるか
決定する。
デポキャンプの荷物のABCへの回収なども順調に進んでいる。
11月10日頃の登頂を目指すというスケジュールに変わり無し。

以上です。

2009年10月28日水曜日

KG-2通信 No.11

山形先生が10/25に無事に帰国しました。

『これまでのところ皆元気で、トラブル もなく順調に推移しています。
中国隊との関係もうまくいっています。
二人のチベット人(デチンとダンター)をエースとする中国隊は大変強力です。
お陰様で、小生はアタ氷河上のデポキャンプまで歩いたり、
素晴らしい体験を させていただきました。』

とのことです。

2009年10月25日日曜日

KG-2通信 No.10

井上隊長から10/24衛星電話で連絡がありました。

10月23日 天候が悪いので休養日
10月24日 午前中は雪だったが午後から回復。
       ABCを建設(4680m)。
       KGⅡが見える。
       2007年より雪は少ない。
       中国隊4名もABCに入り、共同で作業を進めている。
明日は、C1建設に向かうとともに、デポの回収をはかる。

以上です。


10.19.アタ氷河下部 クレバスが多い

デチン(左)とダンター

デポサイトにて 山形先生

10.20.朝、BCの井上隊長

ヒョーナ乗越からBC

ヒョーナ乗越からルーショ湖とアタ氷河 左下にBC

ヒョーナ乗越からルオニージャンダルム



2009年10月23日金曜日

KG-2通信 No.9

今日10/22 13時前(現地12時前)に、
井上隊長から衛星電話で連絡あり。


10月15日 ラサ(拉薩)→リンチ(林芝)
10月16日 リンチ→ランウ
10月17日 ランウ→ラグー ルオニーが見えた。
10月18日 ベースキャンプ設営
10月19日 デポキャンプ設営
10月20日 ルート工作に着手、2日間で4650mに到達(ABC予定は4700m)
10月22日 午前中は天気が悪いので待機。午後に行動予定。

16日以降天気が悪く、主稜線は見えない。行動はできるので、キャンプは進めていく。

全員元気です。

山形先生は予定通り帰路に着いた。

拉古氷河の朝焼け

拉古出発直前

矢崎君渡渉 水が超冷たい

ヤク23頭の大部隊

BCに着いたとたんに雨


2009年10月19日月曜日

KG-2通信 No.8

ラグーより電話連絡あり。
18日朝ラグーよりBCに向け出発。
多少咳をしているものもいるが
みんな元気ですとのことです。

いよいよ遠征隊がBCに入ります。

2009年10月17日土曜日

KG-2通信 No.7

遂に遠征隊がラグーに到着です。
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17日10時ラグに到着。少し雲あるが天気よくルオニイも頭を見せて歓迎してくれた。

KG-2通信 No.6

internetが使えませんので携帯で報告。15日9時ラサ出発。12時20
分米峠Mi La 5013m、17時30分 林芝Lin Zhi到着。SUV 4台 トラッ
ク1台でラサを出発。ラサ川沿いの舗装道路を快調に米拉に。ラサ
川は澄みきった流れがうつくしい。峠から東に下り新興都市となっ
た林芝2990m着。チベット人が放牧のテントを展開している近くに
突然近代都市出現に驚愕。皆元気です。

2009年10月15日木曜日

KG-2通信 No.5 隊荷出荷

KG-2 通信 NO-5 拉薩 ポカラ宮 隊荷の出荷
10月14日
食料の仕分けとパッキングは昨夜の夕食後も続けてやっと隊の荷物
がまとまった。日本から持ち込んだ物と合わせて20箱程度、350kg
~400kg程度となった。今朝はつかの間の休息としてポカラ宮を見
学。TMAのバスで送迎してもらい、達互(Da WA)さんのガイドで宮殿
の中の仏像や部屋について説明を受けた。中国人、ヨ-ロッパ人の
観光客が多数、日本人は老婦人の団体が階段に腰掛けて息苦しそう
にしているのが気になったぐらいで少ない。
街はちらほらと軍人の監視が街角にあるが至って平穏に見える。ポ
タラ宮とその周辺には民族服のチベット人の巡礼者が多数いるのが
印象的だ。ポタラ宮の前には立派な道路と近代的な公園ができてい
て、その歩道を1000年は変わっていないであろう民族服で歩く人達
はなにを感じているのだろうか、とそのミスマッチとも思える対比
に戸惑う。

◆チベット登山協会への支払い
 昨日の見積りにはポ-タ-10人分の費用が含まれていなかったの
で次(Tse)さんが差し替えたものを達互(DaWA)さんに託してホテル
に持ってきてくれた。早速金額を留守本部の田中信行委員に電話で
知らせて送金してもらった。これで無事出発できます。ありがとう
ございました。

◆隊荷の出荷
 3;00PMにチベット登山協会の小型ピックアップトラックがヒマラ
ヤホテルにやってきた。二回に分けてチベット登山学校へ運び込ん
だ。確認のために山田と矢崎が登山学校へ出向いた。明日は8;30AM
に迎えが来て出発です。

◆横断山脈研究会の中
村保さん一行の3人に出会う
 ホテルの玄関で隊荷の出荷中に中村保さんにお会いした。昨日拉
薩に着かれたとのこと。出発前に旅程を聞いていたのでひょっとし
てお会いするのではないかと思っていたが、ホテルも同じであった。


隊荷の出荷

秋色の朝日と街


ポタラ宮を背に

平穏な拉薩の町並み

中村さん達と出会う


KG-2通信 No.4 拉薩


10月13日 追伸

食料の買出しは最後に矢崎が野菜をダンボ-ル2箱買って終了。

連絡官の達互(DaWA)さんが活躍してくれた。BCからDeposit(2007年
偵察時のABC)までのPorter 10人 2日の料金がTMAの見積りに含ま
れていないのを確認、見積りは14日荷変更したもの
をもらうことと
なった。支払いはその後に留守本部の田中信行委員にお願いするこ
ととなる。規則では拉薩を出発する前に支払い完了しなければなら
ないが、見積り入手後3日程度は猶予をもらっているので15日の出
発には支障がない。

Porterへの支給装備はTMAの見積りには含まれないというので早速
買い出しに矢崎と達互が行ってくれる。長靴、手袋、野球帽、サン
グラスを確保した。総額300元(\4,500-)。

ブタンガスはCUG(中国地質大学)に手配を依頼していたが、14日朝
にスポ-ツ店にCUGの隊員が引き取りに行
ってくれる。

  小8箱x24カ-トリッジx25元 =4800元
  大7箱x24カ-トリッジx35元=5880元  計10,680元。

負担は人数割りで当初日本側8人で360カ-トリッジ手配したので 
4,800元を現金で牛副隊長に支払った。

懸案であったお礼の葉書は日本で準備した礼文をプリント、拉薩で
買った20枚を加えて郵便局にて出
すことができた。

買出し組以外は全員でパッキング。
夕食はCUGが宿泊している登山学校の校長Nima Tsering氏の招待で
日中全員がホテル横のレストランでご馳走
になった。

夕食のレストランにて

2009年10月13日火曜日

KG-2通信 No.3 拉薩

2009年10月13日
◇TMAとのNego(山田 井上)
10;30 TMAのOffice(政府体育部の敷地内)4FにSales Departmentが
あり、次珍(TseDren,若くて美人の漢人)さんと折衝。
 留守本部の金井さん、田中信さんとコンタクトし、代金の支払い
の段取りについて相談した。我々が拉薩を出発する15日前に支払う
のがル-ルとなっているが、ニ三日の猶予はいただいた。
◇食料買出し(矢崎 石丸 山本)
10:00に達互(Da WA)に案内してもらって買出し
◇装備確認 (山形 近藤)
チベット登山学校へ出向いてデイチンとあらかじめ取り決めたリス
トに従って手配の確認を実施。Porter10人分の長靴、サングラス、
帽子以外はそろっている。
Porterについては再度達互(Da WA)を通じて確認する、また、装備
の手配も達互に依頼した。Porterの手配は拉古(Lhagu)で村長と折
衝することとなる。

井上 達男

ラサに集結





井上隊長から登山本部に電話があり
全員元気でラサに集結。
中国隊との連絡もスムーズとのことです。

ミニヤコンガ

ラサ空港

ラサ川

ヒマラヤホテル






2009年10月11日日曜日

KG-2通信 No.2 武漢

10月11日
武漢での大事な仕事は中国地質大学での壮行会。副学長はじめ関係
の方々多数の出席を得て合同隊の結成式となりました。中国隊の若
い学生たちも出席、隊旗の授与を受けました。また、夕食会はシニ
アテ-ブルとジュニアテ-ブルに分かれましたが相互に挨拶を交わ
し、一つの隊に融合できました。明日は早朝から成都経由で拉薩に
入ります。(文責:井上)




KG-2通信 No.1


KG-2 通信No-1

10月10日 関西空港には居谷実行委員が本隊隊荷を車で搬送し
てくださり、時間通りにチェックインしました。見送りには甲南山
岳会の広瀬さん、大森さん、森本さん、柏さん平井さんが駆けつけ
られ、山本夫人、矢崎君のお母様、井上の家内ととも多数の見送り
を受けて時間通り出発できました。ありがとうございます。

隊荷はチェックイン230kg、オ-バ-チャ-ジ60kg(\150,
800-)で当初予定の90kgより大幅に減量できました。30kg
に加えてCAのマイレ-ジに入会すると5kg追加というこの日限
りの特典にも恵まれて20kg(山本さんは事前登録で特典を得ら
れず4人のみ特典を得た)が減額されました。

夕刻、本隊の山形 裕士、井上 達男、山本 恵昭、矢崎 雅則、
近藤 昂一郎は隊荷とともに武漢に到着しました。武漢空港には通
訳の趙さんと隊員の李生鵬(Li Sheng Peng)がマイ
クロバスで出迎えてくれました。さっそく中国地質大学の招待所に
て牛さんを加えて夕食となりました。出発準備に忙しい董範 Dong
Fan教授も食後に現れ、KG-2登頂の成功を祈念して乾杯しまし
た。10日と11は大学近くのホテル(武漢夢天湖東湖大酒店 W
uhan MengTian Hu Dong Hu THote
l)に滞在します。
今日(11日)は午後4時から大学の校長も参加して出発を祝う祝
典が挙行され、その後晩餐会が予定されています。日中は中国を初
めて訪問する山形委員長、山本登攀リ-ダ-、矢崎隊員のために市
内見学をしてもらいます。


先発隊の山田 健副隊長、石丸祥史隊員は中国隊の李さんら4人とと
もに10日、拉薩(Lhasa)に到着しました。山田からの電話報告に
よると拉薩への入域はことのほか厳しく、チベット登山協会の許可
証やパスポ-ト情報などの確認が何度も行われるとのこと。拉薩市
内も軍隊、公安があふれて物々しい。しかし、平穏であるとのこと
です。拉薩へはCZ便を使いましたが、山田のe-チケットに間違っ
たパスポ-ト番号が記載されていて、チェックインでもめて折衝に
苦労したようです。また、登山許可証は一通しかなく、本隊のため
に成都空港に残しておいたところ、手荷物検査時点でも必要となり、
あわてて再度取りに行ったりして苦労したようです。中国隊のメン
バ-と一緒でなんとかなったようです。先発の経験で本隊はスム-
スに行けそうです。

明日12日には予定通り拉薩に向けて出発となります。inter
netが繋がる限りはKG-2通信を続けたいと思います。本隊は
全員元気で旅を楽しんでおります。(文責:井上 達男)


さていよいよ出発、いろんな思いが・・・、隊長夫人・山本夫人・矢崎お母様


全員で記念写真?誰か足りない??


山形実行委員長でした。


甲南勢の見送りはなかなかでした。左から柏さん、大森さん、平井さん、
山本隊員、森本さん、広瀬さん、山本夫人


荷物を押し込んでホット一息。隊長は超過金支払いへ

超過金処理も終わり、ホット一息、シニア

では本当に出発

緒方氏現る。隊長夫人、矢崎お母様の心配を吹き飛ばす。