2009年10月30日金曜日

KG-2通信 No.12

10月29日(木)20時20分、井上隊長から以下のような内容の衛星電話が
ありました。

日本隊、中国隊とも皆元気で、協同して登山を進めている。
本日(29日) C1を建設した。

今まで、毎日のように朝は雪で、昼から行動していたが、本日初めて晴れた。
風向きも今まで南風だったのが、今日は北風に変わった。
C1からC2へのルートに関して、2003年のルートよりもさらに一つ北側の、氷河
よりのルートを本日偵察した。
明日以降、再度偵察し、2003年のルートをとるか、一つ北側のルートをとるか
決定する。
デポキャンプの荷物のABCへの回収なども順調に進んでいる。
11月10日頃の登頂を目指すというスケジュールに変わり無し。

以上です。

2009年10月28日水曜日

KG-2通信 No.11

山形先生が10/25に無事に帰国しました。

『これまでのところ皆元気で、トラブル もなく順調に推移しています。
中国隊との関係もうまくいっています。
二人のチベット人(デチンとダンター)をエースとする中国隊は大変強力です。
お陰様で、小生はアタ氷河上のデポキャンプまで歩いたり、
素晴らしい体験を させていただきました。』

とのことです。

2009年10月25日日曜日

KG-2通信 No.10

井上隊長から10/24衛星電話で連絡がありました。

10月23日 天候が悪いので休養日
10月24日 午前中は雪だったが午後から回復。
       ABCを建設(4680m)。
       KGⅡが見える。
       2007年より雪は少ない。
       中国隊4名もABCに入り、共同で作業を進めている。
明日は、C1建設に向かうとともに、デポの回収をはかる。

以上です。


10.19.アタ氷河下部 クレバスが多い

デチン(左)とダンター

デポサイトにて 山形先生

10.20.朝、BCの井上隊長

ヒョーナ乗越からBC

ヒョーナ乗越からルーショ湖とアタ氷河 左下にBC

ヒョーナ乗越からルオニージャンダルム



2009年10月23日金曜日

KG-2通信 No.9

今日10/22 13時前(現地12時前)に、
井上隊長から衛星電話で連絡あり。


10月15日 ラサ(拉薩)→リンチ(林芝)
10月16日 リンチ→ランウ
10月17日 ランウ→ラグー ルオニーが見えた。
10月18日 ベースキャンプ設営
10月19日 デポキャンプ設営
10月20日 ルート工作に着手、2日間で4650mに到達(ABC予定は4700m)
10月22日 午前中は天気が悪いので待機。午後に行動予定。

16日以降天気が悪く、主稜線は見えない。行動はできるので、キャンプは進めていく。

全員元気です。

山形先生は予定通り帰路に着いた。

拉古氷河の朝焼け

拉古出発直前

矢崎君渡渉 水が超冷たい

ヤク23頭の大部隊

BCに着いたとたんに雨


2009年10月19日月曜日

KG-2通信 No.8

ラグーより電話連絡あり。
18日朝ラグーよりBCに向け出発。
多少咳をしているものもいるが
みんな元気ですとのことです。

いよいよ遠征隊がBCに入ります。

2009年10月17日土曜日

KG-2通信 No.7

遂に遠征隊がラグーに到着です。
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17日10時ラグに到着。少し雲あるが天気よくルオニイも頭を見せて歓迎してくれた。

KG-2通信 No.6

internetが使えませんので携帯で報告。15日9時ラサ出発。12時20
分米峠Mi La 5013m、17時30分 林芝Lin Zhi到着。SUV 4台 トラッ
ク1台でラサを出発。ラサ川沿いの舗装道路を快調に米拉に。ラサ
川は澄みきった流れがうつくしい。峠から東に下り新興都市となっ
た林芝2990m着。チベット人が放牧のテントを展開している近くに
突然近代都市出現に驚愕。皆元気です。

2009年10月15日木曜日

KG-2通信 No.5 隊荷出荷

KG-2 通信 NO-5 拉薩 ポカラ宮 隊荷の出荷
10月14日
食料の仕分けとパッキングは昨夜の夕食後も続けてやっと隊の荷物
がまとまった。日本から持ち込んだ物と合わせて20箱程度、350kg
~400kg程度となった。今朝はつかの間の休息としてポカラ宮を見
学。TMAのバスで送迎してもらい、達互(Da WA)さんのガイドで宮殿
の中の仏像や部屋について説明を受けた。中国人、ヨ-ロッパ人の
観光客が多数、日本人は老婦人の団体が階段に腰掛けて息苦しそう
にしているのが気になったぐらいで少ない。
街はちらほらと軍人の監視が街角にあるが至って平穏に見える。ポ
タラ宮とその周辺には民族服のチベット人の巡礼者が多数いるのが
印象的だ。ポタラ宮の前には立派な道路と近代的な公園ができてい
て、その歩道を1000年は変わっていないであろう民族服で歩く人達
はなにを感じているのだろうか、とそのミスマッチとも思える対比
に戸惑う。

◆チベット登山協会への支払い
 昨日の見積りにはポ-タ-10人分の費用が含まれていなかったの
で次(Tse)さんが差し替えたものを達互(DaWA)さんに託してホテル
に持ってきてくれた。早速金額を留守本部の田中信行委員に電話で
知らせて送金してもらった。これで無事出発できます。ありがとう
ございました。

◆隊荷の出荷
 3;00PMにチベット登山協会の小型ピックアップトラックがヒマラ
ヤホテルにやってきた。二回に分けてチベット登山学校へ運び込ん
だ。確認のために山田と矢崎が登山学校へ出向いた。明日は8;30AM
に迎えが来て出発です。

◆横断山脈研究会の中
村保さん一行の3人に出会う
 ホテルの玄関で隊荷の出荷中に中村保さんにお会いした。昨日拉
薩に着かれたとのこと。出発前に旅程を聞いていたのでひょっとし
てお会いするのではないかと思っていたが、ホテルも同じであった。


隊荷の出荷

秋色の朝日と街


ポタラ宮を背に

平穏な拉薩の町並み

中村さん達と出会う


KG-2通信 No.4 拉薩


10月13日 追伸

食料の買出しは最後に矢崎が野菜をダンボ-ル2箱買って終了。

連絡官の達互(DaWA)さんが活躍してくれた。BCからDeposit(2007年
偵察時のABC)までのPorter 10人 2日の料金がTMAの見積りに含ま
れていないのを確認、見積りは14日荷変更したもの
をもらうことと
なった。支払いはその後に留守本部の田中信行委員にお願いするこ
ととなる。規則では拉薩を出発する前に支払い完了しなければなら
ないが、見積り入手後3日程度は猶予をもらっているので15日の出
発には支障がない。

Porterへの支給装備はTMAの見積りには含まれないというので早速
買い出しに矢崎と達互が行ってくれる。長靴、手袋、野球帽、サン
グラスを確保した。総額300元(\4,500-)。

ブタンガスはCUG(中国地質大学)に手配を依頼していたが、14日朝
にスポ-ツ店にCUGの隊員が引き取りに行
ってくれる。

  小8箱x24カ-トリッジx25元 =4800元
  大7箱x24カ-トリッジx35元=5880元  計10,680元。

負担は人数割りで当初日本側8人で360カ-トリッジ手配したので 
4,800元を現金で牛副隊長に支払った。

懸案であったお礼の葉書は日本で準備した礼文をプリント、拉薩で
買った20枚を加えて郵便局にて出
すことができた。

買出し組以外は全員でパッキング。
夕食はCUGが宿泊している登山学校の校長Nima Tsering氏の招待で
日中全員がホテル横のレストランでご馳走
になった。

夕食のレストランにて

2009年10月13日火曜日

KG-2通信 No.3 拉薩

2009年10月13日
◇TMAとのNego(山田 井上)
10;30 TMAのOffice(政府体育部の敷地内)4FにSales Departmentが
あり、次珍(TseDren,若くて美人の漢人)さんと折衝。
 留守本部の金井さん、田中信さんとコンタクトし、代金の支払い
の段取りについて相談した。我々が拉薩を出発する15日前に支払う
のがル-ルとなっているが、ニ三日の猶予はいただいた。
◇食料買出し(矢崎 石丸 山本)
10:00に達互(Da WA)に案内してもらって買出し
◇装備確認 (山形 近藤)
チベット登山学校へ出向いてデイチンとあらかじめ取り決めたリス
トに従って手配の確認を実施。Porter10人分の長靴、サングラス、
帽子以外はそろっている。
Porterについては再度達互(Da WA)を通じて確認する、また、装備
の手配も達互に依頼した。Porterの手配は拉古(Lhagu)で村長と折
衝することとなる。

井上 達男

ラサに集結





井上隊長から登山本部に電話があり
全員元気でラサに集結。
中国隊との連絡もスムーズとのことです。

ミニヤコンガ

ラサ空港

ラサ川

ヒマラヤホテル






2009年10月11日日曜日

KG-2通信 No.2 武漢

10月11日
武漢での大事な仕事は中国地質大学での壮行会。副学長はじめ関係
の方々多数の出席を得て合同隊の結成式となりました。中国隊の若
い学生たちも出席、隊旗の授与を受けました。また、夕食会はシニ
アテ-ブルとジュニアテ-ブルに分かれましたが相互に挨拶を交わ
し、一つの隊に融合できました。明日は早朝から成都経由で拉薩に
入ります。(文責:井上)




KG-2通信 No.1


KG-2 通信No-1

10月10日 関西空港には居谷実行委員が本隊隊荷を車で搬送し
てくださり、時間通りにチェックインしました。見送りには甲南山
岳会の広瀬さん、大森さん、森本さん、柏さん平井さんが駆けつけ
られ、山本夫人、矢崎君のお母様、井上の家内ととも多数の見送り
を受けて時間通り出発できました。ありがとうございます。

隊荷はチェックイン230kg、オ-バ-チャ-ジ60kg(\150,
800-)で当初予定の90kgより大幅に減量できました。30kg
に加えてCAのマイレ-ジに入会すると5kg追加というこの日限
りの特典にも恵まれて20kg(山本さんは事前登録で特典を得ら
れず4人のみ特典を得た)が減額されました。

夕刻、本隊の山形 裕士、井上 達男、山本 恵昭、矢崎 雅則、
近藤 昂一郎は隊荷とともに武漢に到着しました。武漢空港には通
訳の趙さんと隊員の李生鵬(Li Sheng Peng)がマイ
クロバスで出迎えてくれました。さっそく中国地質大学の招待所に
て牛さんを加えて夕食となりました。出発準備に忙しい董範 Dong
Fan教授も食後に現れ、KG-2登頂の成功を祈念して乾杯しまし
た。10日と11は大学近くのホテル(武漢夢天湖東湖大酒店 W
uhan MengTian Hu Dong Hu THote
l)に滞在します。
今日(11日)は午後4時から大学の校長も参加して出発を祝う祝
典が挙行され、その後晩餐会が予定されています。日中は中国を初
めて訪問する山形委員長、山本登攀リ-ダ-、矢崎隊員のために市
内見学をしてもらいます。


先発隊の山田 健副隊長、石丸祥史隊員は中国隊の李さんら4人とと
もに10日、拉薩(Lhasa)に到着しました。山田からの電話報告に
よると拉薩への入域はことのほか厳しく、チベット登山協会の許可
証やパスポ-ト情報などの確認が何度も行われるとのこと。拉薩市
内も軍隊、公安があふれて物々しい。しかし、平穏であるとのこと
です。拉薩へはCZ便を使いましたが、山田のe-チケットに間違っ
たパスポ-ト番号が記載されていて、チェックインでもめて折衝に
苦労したようです。また、登山許可証は一通しかなく、本隊のため
に成都空港に残しておいたところ、手荷物検査時点でも必要となり、
あわてて再度取りに行ったりして苦労したようです。中国隊のメン
バ-と一緒でなんとかなったようです。先発の経験で本隊はスム-
スに行けそうです。

明日12日には予定通り拉薩に向けて出発となります。inter
netが繋がる限りはKG-2通信を続けたいと思います。本隊は
全員元気で旅を楽しんでおります。(文責:井上 達男)


さていよいよ出発、いろんな思いが・・・、隊長夫人・山本夫人・矢崎お母様


全員で記念写真?誰か足りない??


山形実行委員長でした。


甲南勢の見送りはなかなかでした。左から柏さん、大森さん、平井さん、
山本隊員、森本さん、広瀬さん、山本夫人


荷物を押し込んでホット一息。隊長は超過金支払いへ

超過金処理も終わり、ホット一息、シニア

では本当に出発

緒方氏現る。隊長夫人、矢崎お母様の心配を吹き飛ばす。

無事武漢に到着

管理人の香山です。
遠征隊が無事武漢に到着したと連絡がありました。
武漢は神戸と同じような気温とのことです。

2009年10月9日金曜日

先発隊出発(関西空港)


2009年10月9日、先発隊の出発見送りに遠征実行委員会の金井委員、緒方委員が駆けつけました。

写真は左から、見送りの緒方委員、隊員の石丸、副隊長の山田。

学術登山隊 先発隊出発


先発隊、山田健副隊長・秘書長と石丸祥史隊員(食料担当)が10月9日9:30A関西空港発CA便にて北京経由武漢へ出発しました。10月10日には武漢で中国地質大学の先発隊と合流して成都経由で拉薩(Lhasa)へ先行します。拉薩では食料や燃料の調達とチベット登山協会との折衝を開始します。

10日には本隊も出発します。

神戸新聞に記事が掲載されました。

2009年10月7日水曜日

登山に向けての決意

壮行会2009/9/26での挨拶

神戸大学・中国地質大学合同崗日嘎布山群学術登山隊 
隊長 井上 達男 


日本の登山界ではヒマラヤの処女峰登山の時代は終わったといわれるようになってまいりました。しかし、よくよく見てまいりますと、確かに8000m峰は手垢に汚れていますし、7000m峰も残っている山は政治的に閉ざされていたり、私が登ったSherpi Kangriの二峰は7303mですが、マイナーピークであったりします。しかし、目をチベットの東に転じますと、なんと全く未知のエリヤが沢山あるとわかってまいりました。私は技術屋でありますが、GPSや衛星での探査に興味を持っております。Google Earthはご存知でしょうが、衛星から計測した結果がそれぞれの地域の画像に標高デ-タとして格納されています。その精度は検証しなければなりませんが地形を大まかに把握するには十分実用に耐えるものであり、東チベットの山座同定に活用しております。そこから無名のピークをマークし、旅行者や登山隊、探査隊などの写真を駆使してピ-クの存在を明らかにしていくとまだまだ新しい発見があります。


神戸大学は過去3回阿扎氷河(Ata Glacier)に入っています。今度で4回目ですが、今までの3回でそれぞれ新しいピ-クを見つけてきています。私たちはカンリガルポ山群の各ピ-クに仮番号をつけて山座同定を行っておりますが、雑誌岳人にも発表させていただきましたKG-5(推定6325m)は遠方から良く見える山で多くの人が見ているはずですが、後ろの稜線と重なっていて誰もこれが立派なピ-クであるとは気付いていませんでした。2007年の偵察隊はこれをはっきりと確認してきました。この例のようにこの地域はまだまだ未知の領域であると言えます。すなわち、カンリガルボ山群は私やあるいは平井一正先生が黎明期のヒマラヤ登山で経験したように、わくわくするような未知と遭遇できる可能性が沢山ある地域であります。


私は若い頃は「俺は実力があるからヒマラヤの処女峰にも簡単に登れるのだ」というような思い上がった気持ちで遠征に参加したのですが、よくよく考えてみますと、多くの先輩やご支援いただいた方々の厚い助力のもとに遠征が成り立っていたのだということを今更ではありますがしみじみと感じる歳となりました。このたび60歳を過ぎてはおりますが、老体に鞭打って、若い頃に体験させていただいた遠征登山と処女峰登頂、そしてその後のすばらしい人生を送らせて頂いた喜びを今回参加していただく若い人達にも味わっていただくことにより神戸大学の探検的登山の伝統を継承していきたいと願っております。今日、皆様にお見せしている地図はGoogleから取り出したものに様々な写真や訪問者の情報をもとに山座同定を進めているものであります。新しいピ-クの発見や登路の検討はこれらの地道な研究を通じてできるものである、と言った未知への挑戦の進め方この遠征登山を通じて伝承していきたいと思っています。


 東チベットについてもう少し述べさせてもらいますと、今日まで判っているだけで250座を超える未踏の6000m峰が林立している地域であります。今度行きます崗日嘎布山群は全長280kmありますが、私が数えたところでは32座の6000m峰があり、その全てが未踏峰であります。目標のKG-2のある阿扎氷河(Ata Glacier)流域のピ-クも全てが未踏峰であります。この事実はなかなか世間にはわかってもらえないことで、「まだ世界には未踏峰がまだあるの?」と言った質問を受けるのですが、まだまだ知られざる地域であります。昨今の中国の開発速度は驚くべきものがありますが、東チベットの未踏の6000m峰全てが登られるのにはあと100年は掛かるのではないかと推定されます。そういう意味では神戸大学山岳会・山岳部は1915年に創設されて90周年を過ぎたところで、もうすぐ100周年を迎え、そろそろパイオニア・ワ-クをビジョンとする山登りのスタイルも終りかなと言われる歳でありますが、どっこいあと100年は続けられるぜ、との思いでパイオニア・ワ-クの伝統をまだまだ積み上げて生きたいと思っております。それからシニアの皆様もアプロ-チが簡単になりますから夢をもう一度とチャレンジされてはいかがでしょうか。中にはやさしい山もあります。私がその先鞭となれればと思います。


話はチベット問題に移りますが、ご支援いただいた方々の一部から「いまどきチベットへ漢族と合同登山するのはいかがなものか」と言った厳しいご批判も頂いております。私はそうではないと思っております。チベット問題はその大半がメディアを通じた報道から情報を得ていると思われます。情報過多の時代でもあります。本当はどうなのか、と疑問が多いのもチベット問題であります。これからの時代、真実は自分の目で確かめることが大切であると思います。幸い、私たちの登山隊にはチベット人の学生が2人います。丁度10月1日は現中国の建国60周年記念日を迎えます。チベット開放後も長い年月が経っており、新しい世代の人々が育ってきております。20代のチベット人隊員たちと日々語らう機会があります。彼らがその人生にどんな夢を持っているのか、将来のチベットがどうあるべきと思っているのか、それを知る良い機会であると思っています。日本隊の若い人達もぜひ彼らと語り合ってこれからの良い地球を築くにはどうしたらよいのか大いに議論してもらえたら嬉しく思います。


私は長年自動車関係の仕事をしておりますが、本多宗一郎氏が三現主義「現地、現物、現状」を厳しく指導されて世界に誇れる今日の日本車の品質向上に貢献されています。私たちもこの精神で現地に赴き、ただ単に山を登るだけではなく、自分たちで出来る調査をやってこようと隊員それぞれがテ-マを持って出かけます。最年少の石丸祥史君は農学部の学生です。今度訪ねる最奥の村、拉古(Lhagu)の農業について調査をテ-マとしています。私と山田健副隊長は、山田が測量についてはプロでもありますが、今度訪れる山々の高度を出来る限り正確に求めることと山座同定をテ-マとしています。KG-2は無名峰です。チベット人隊員には現地の名前を探ってもらおうと考えています。近くの寺院から見える山々にはチベット仏教ゆかりの名前があり、聖山(ユラ)として信仰の対象になっています。幸いKG-2は地元でも認知されておらずおそらく無名であると期待しております。名前がなければチベット人隊員に命名してもらうのが自然ではないか、と思っております。しかし、命名には慎重に取り組み、地元にも受け入れられるようなプロセスが大事かと思います。


最後に、私の大切な仕事はここにおります隊員全員が元気に戻ってくることだと肝に銘じております。年末にはまた、皆様とお会いして成果のご報告ができることを楽しみにしております。